おもんぱかる「慮る」 |
春かなと思うと急に冷え込み冬支度。そんな繰り返しが続いた3月でした。
桜は2月1日から計算をして気温15度以上の日が合計23日から24日に
なると開花するのだそうです。
開花が近づくと桜の樹液もピンクになると云われています。
今年もソメイヨシノを目にできることに感謝です。
先日、午前中に相棒と近くの公園に出かけ幼稚園児、保育園児をたくさん見かけました。
かけっこしている園児、遊戯をしている園児、体操をしている園児がいる中で
紅白の旗を持って旗揚げゲームをしているグループがありました。
「白上げて」「白おろして赤上げて」「赤おろして白上げない」
うまくできる園児もいれば、中々上手くいかない園児もいますが、どの園児も
楽しそうにゲームを楽しんでいました。
その光景を見ながら思わず口元が緩みました
この年齢の子には邪気がないので間違えてもニコニコして愉しんでいました。
そんな穏やかな風景を見ながら、20年経ったらこの子たちはどんな風に
成長しているのだろうか?と頭をよぎりました。
先人たちが残した遺産は引き継がれていくのだろうか?
成人した時に「この国は一体どうなるのだろうか?」と問われた時に
この子たちに対してこの国の社会はどう答えるのだろう?
そんなことはその時にならなければ分からないと云われるかもしれません。
確かにそうかもしれませんが最近、「慮る(オモンパカル)」ことを忘れて
生きている人があまりにも多いので不安になります。
慮ることは人間だけに残された脳力と云われ、AIに置き換えることができないと
云われています。
対話はできても慮ることは不可能だと云われています。
謙虚、心配り、感謝など日本人の美しさは世界から尊敬された時期もありましたが
今や、人より早く、人より高く、人より多くと競うことばかり考えて、
常に勝ち馬に乗ることに命を削っている人が余りにも多いように感じます。
日本人はいつから、こんなに浅ましくなったのでしょう?
「美しく生きる?」「幸せに生きる?」「自分のためにだけ生きる?」
「愉しく生きるだけ?」それ以外の選択肢もあると思いますが、
日々どんな暮らしをしたら自分が選択した生き方につながるのか
深く考える時期にあると思いませんか?
あれこれ思いを巡らして深く考えることが「慮る」の意味の一つです。
更にいうなら、自分が行動を起こす時に、思いを巡らし
どんな状況や影響が生まれるのか深く考えることという。
時には自然に触れて、風の音、木の葉の擦れる音、鳥の声を聴いて、
芝の香りを嗅いで、雲の動きを眺めながら人生を考えることも良いものです。
時代小説の中にこんな一節がありました。
「人には立ち止まることが絶対に必要である。
日常の生活に流されていては、日常性を縛る価値観から
抜け出すことも、習慣的になったがゆえに苔むしたように
鈍磨した五感を覚醒させることもできない。」=「下天を謀る」
自然の中でしか五感を研ぎ澄ませることはできないかもしれません。
小さな積み重ねをすることで思わぬところへ到達するかもしれない。
付和雷同することなく信じた道を進むのみ。
家族、友人はもちろんのこと考える機会を与えてくれる
多くの方々に感謝を込めて。
ごきげんよう🎶