終わりは必ずやってくる |
酷暑が終わるぞと言わんばかりに8月27日(月)に
大きな雷鳴とともにゲリラ豪雨。
関東地方で2万回の落雷があり停電被害にあった地域も
あったようです。
早めに梅雨が開けてそれ以降の暑さは正に酷暑。
9月に入れば酷暑も終わるようです。
今月の検診で、「このまま治療を続けて影響が出るとしたら、
どんな影響が考えられますか?」
の質問に対して主治医から「色々な影響は出ると思われますが、
どの段階でどのような影響が出るのかは今の段階では
わからない。考えられるのは・・・」続けて
「この病気に関わらず健康な人であっても外的要因で影響が出てきます。
その時がその人の寿命だと思います。」
改めて、人は余命を抱えながら生かされていることを知らされました。
こんなことをきっかけに、残りの人生を豊かにいきていくために
今、終えることはなんだろう?と考え始めました。
決して、世に言う終活ではありません。
まず思いついたのはSNS、自動車免許の返上、依存、夜更かし、
先を考えすぎること、無理をすること、ハウトゥ本を読むこと、
これくらいだろうか?
お酒もほとんど呑まないし、禁煙もできている。夜の外出は全くない。
これらを終えることによって生まれるメリットは、
* 周りの雑音にとらわれずに自然体で愉しく今を大切にできる。
* 安全と無事の確率が高まる。
* 公共交通機関を利用することで視野、視界を広げることができる。
* 自分で考え工夫をすることでより自分らしく幸せな生き方ができる。
* 気持ちに余裕が生まれ愉快に過ごせ、周りに対しての配慮ができる。
限られた人生をいかに幸せに生きるかを考えて行き当たったのが、
「等伯」と言う歴史小説本に描かれてあった成唯識論でした。
これまでは、自己にこだわる心が執着となりありのままの自分を
知らずに生きてきたように思い始めました。
末那識(まなしき)という自我執着心とか自己に対する愛着などの
煩悩の世界にあったようです。
それらの煩悩を抑えて阿頼耶識(あらやしき)まで上り詰めて
清らかで美しい心で生き、あるがままの自分の姿、存在の真理を探求して
天から与えられた命の意味をこの世に存在している間に知り、
この世に別れを告げられれば幸せかなと思っています。
何かが始まれば必ず終わりがあります。
動物や植物は人間より自然に近い世界で生きているので、
「寿命」に敏感であり、どこで終わりにするかを知っているように感じます。
昨今の日本の組織にある権力者は終えることを知らない?
あさましさだけが目について、変わらぬことを善しとしている
感じがしてなりません。
明日から新しい月が始まります。
平成の夏も終わりを告げようとしています。
この30年で日本はどのように変わったのでしょう?
平成を総括し、新しい時代を迎えられることを願います。
何を終わらせて、何を始めますか?
この問いをしばらく続けようかなと思います。
8月の酷暑の中を無事に過ごせたことに感謝します。そして、
9月も無事に過ごせますように!
ごきげんよう🎶