毒を以て毒を制す |
酷暑を離れて、7月は札幌で過ごしました。
とは云っても入院をしておりました。
今回は、担当医から宣告されたわけでなく
自主的に病室を予約して入院。
担当医とは7年の付き合いで、私の方が一方的に信頼を寄せている方。
今回は病室で荷ほどきをしているところに現れ、「やあ、いらっしゃい」の
言葉から入院生活が始まりました。
東京にも医師はたくさんおりますが、札幌で受診するのには理由がありました。
● 病気と深くコミュニケーションできる医師であること。
● 看護師さんから全幅の信頼を寄せられていること。
● 時間、休みに関係なく患者の苦しみに寄り添える医師であること。
これらのことは7年間言葉を交わすことで私なりに肌で感じていることと
看護師さんとの会話の中で感じ取ったことです。
治療が始まる前にお風呂で言葉を交わした方々も異口同音に親身になって
病気と向き合ってくれる信頼できる先生と聴かされました。
看護師さんからも、この先生が退職したら病棟のほとんどの看護師は
退職してしまうだろうと聴かされました。
土曜日の病院が休みの時にも病室を訪ねてくれて症状を訊ねて、
的確な答えを提示してくれるだけでなくその通りの結果になることなどから
全幅の信頼を寄せています。
人見知りで照れ屋だから、人とのコミュニケーションが苦手に見えるの
かもしれません。
入院翌日から1週間は検査の連続で、気軽な気持ちで入院したので
「ひょっとして重病?」
と思い始めてすぐに「奥さんはいつ来られますか?」
思わず、「重篤なのですか?」と聞き返してしまいました。
「身体に毒を入れて毒素をやっつけるので予め、
奥さんにご説明をしておいた方が良いと思いましたので。」
早速、妻とは電話でやりとりしていただき、妻から「先生は絶妙のタイミングで
入院してくれました。後藤田さんは病気に対して理解が早いので大丈夫でしょう。」
そう云ってくれたと報告をもらいホッとしました。
そうは言うものの身体に毒を入れるので無菌室に移され治療を開始。
3日間高熱が出て少し不安になるものの看護師さんの明るい対応に
励まされ10日間の隔離生活を乗り越えました。
この隔離生活はかなりストレスになり反抗的な気持ちになった記憶があります。
そんな時も、「後藤田さんと一緒に頑張っている患者さんがたくさんいます。
必ず元気になるように応援しているので頑張りましょう。」と
笑顔で声をかけられることで救われました。
これで3回目の入院で、そのうち最も長い入院生活でしたが
不思議と「もうダメかも?」などと言う気持ちになりませんでした。
それは主治医と看護スタッフへの信頼感があったからだろうと思います。
検査結果が好転せず不安に駆られていた朝に、突然
主治医からいつでも退院できますよと言われた瞬間の気持ちは
言葉で言い表せませんでした。
約1ヶ月の入院生活で考えたことは、人は誰でも産まれた時から死に向かって生きている。
その時が来た時に静かにそれを受け入れて旅立つ心を定めるには
どうしたら良いのだろう?
天から与えられた命だから、天に帰ってこいと言われたら従うほかはない。
その時にどんなことを心に刻んで旅立つかを考えていました。
外界の雑音を遮断して自分と向き合う時間の必要性を痛感しました。
今は、応援いただいた病院スタッフの皆さん、そして家族に感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも限られた命を試し続けます。
明日から8月、まだまだ酷暑が続きそうですが、
良い1ヶ月になることを心から祈ります。