2016年 01月 24日
非力な航海術でもなんとなる |
レジリエンスとは?
困難な状況に耐え、素早く回復する能力=オックスフォード英語辞典より
先週の日曜日に、あるコーチングファームに参加させていただき
レジリエンスを学んでいらっしゃる方のお話を聴いてきました。
レジリエンスを高める技術、ネガティブな感情にどう対処するのか
自分の人生を振り返って、ある、あると頷きながら聴いておりました。
逆境のグラフを作るワークがあり、今までの人生を横軸に
心の状態を縦軸にして逆境と思える時代を俯瞰する貴重な体験。
驚くことに、大学から始まり結婚するまでは荒波の中での航海が続いていました。
20代から30代だったでしょうか、占いに頼ることも多かった。
ある女性占い師に、再度占ってみようとお願いをしたら、
占いに頼って生きるようでは良い人生になりません。
それ以来、占いに観てもらうことはありませんでした。
不思議な雰囲気を持っている方でしたが、私に言葉を残して
間もなく亡くなったと聴いて、何かに依存しながら
生きるのは止めようと思った瞬間でした。
これ以来、依存という言葉を忌み嫌うようになりました。
それから、ただただ荒波に揉まれないように、
沈没しないことだけを考えながら必死に生きてきた感じがします。
会社の倒産など人が経験できない体験もしました。
一般的に言うどん底にある時であっても不思議と「なんとかなる」という
根拠なき気持ちを支えに歩んでいたように思います。
ひょっとして、逆境に強い男?
今振り返ると、自分の可能性はこんなもんではないという
意識がとても強かったように思います。(傲慢な若者?)
会社倒産時も、多くの方から声をかけていただき就職先を
ご紹介いただきました。
最終的には、どれもお断りして時化の中を航海していました。
どうしてか?
答えはひとつ、「北海道から抜け出したい」
自薦でも良いから本州企業で仕事をする可能性を
強く求めていたのだろうと思います。
行きたい大学に進めなかったコンプレックスの裏返し
だったかもしれません。
そう思い続けていたら、ある方の紹介で外航客船の仕事が舞い込んできました。
中学時代から外国人の中で仕事をしたい夢が実現した瞬間でもありました。
この時代がなければ、今の私はなかったと思うほど貴重で
生きる力を湧かしてくれることはなかったかもしれません。
40代に入ってから自分の選択は正しかったと思える
自分なりの人生を歩み始めたように感じます。
そういう意味では、凪の状態で航海が始まったのかもしれません。
逆境から学んだことは、「なんとかなるさ」と根拠なき自分の可能性を信じ、
明るい気持ちで過ごすことがいかに大切だったかということ。
明るい気持ちでいると、自分を受け入れてくれる人が周りに生まれてきます。
俯瞰して自分の人生を上から見ると、「よく沈没しなかったな」
タイトルをつけるとしたら「非力な航海術でもなんとかなる」
座礁しかけ、難破しそうになったことも沢山あります。
その時に支えになったことは、言葉を交わさなくも
「この人だったら、この時どんなことを考えるのかな?」と思い浮かべられる
人が沢山いた、ロールモデルになる素敵な人がいたからだと思います。
まだまだ航海が続きます。
できれば凪の大海を航海したいものですね。
今の自分を築くチャンスをいただいた多くの方々に
心から感謝しております。
好きな言葉があります。
「自分に何が起きるかは選択できないが、
起きていることに対して自分が何をするかは選択できる。」
=「QTの技術」より
ごきげんよう。
困難な状況に耐え、素早く回復する能力=オックスフォード英語辞典より
先週の日曜日に、あるコーチングファームに参加させていただき
レジリエンスを学んでいらっしゃる方のお話を聴いてきました。
レジリエンスを高める技術、ネガティブな感情にどう対処するのか
自分の人生を振り返って、ある、あると頷きながら聴いておりました。
逆境のグラフを作るワークがあり、今までの人生を横軸に
心の状態を縦軸にして逆境と思える時代を俯瞰する貴重な体験。
驚くことに、大学から始まり結婚するまでは荒波の中での航海が続いていました。
20代から30代だったでしょうか、占いに頼ることも多かった。
ある女性占い師に、再度占ってみようとお願いをしたら、
占いに頼って生きるようでは良い人生になりません。
それ以来、占いに観てもらうことはありませんでした。
不思議な雰囲気を持っている方でしたが、私に言葉を残して
間もなく亡くなったと聴いて、何かに依存しながら
生きるのは止めようと思った瞬間でした。
これ以来、依存という言葉を忌み嫌うようになりました。
それから、ただただ荒波に揉まれないように、
沈没しないことだけを考えながら必死に生きてきた感じがします。
会社の倒産など人が経験できない体験もしました。
一般的に言うどん底にある時であっても不思議と「なんとかなる」という
根拠なき気持ちを支えに歩んでいたように思います。
ひょっとして、逆境に強い男?
今振り返ると、自分の可能性はこんなもんではないという
意識がとても強かったように思います。(傲慢な若者?)
会社倒産時も、多くの方から声をかけていただき就職先を
ご紹介いただきました。
最終的には、どれもお断りして時化の中を航海していました。
どうしてか?
答えはひとつ、「北海道から抜け出したい」
自薦でも良いから本州企業で仕事をする可能性を
強く求めていたのだろうと思います。
行きたい大学に進めなかったコンプレックスの裏返し
だったかもしれません。
そう思い続けていたら、ある方の紹介で外航客船の仕事が舞い込んできました。
中学時代から外国人の中で仕事をしたい夢が実現した瞬間でもありました。
この時代がなければ、今の私はなかったと思うほど貴重で
生きる力を湧かしてくれることはなかったかもしれません。
40代に入ってから自分の選択は正しかったと思える
自分なりの人生を歩み始めたように感じます。
そういう意味では、凪の状態で航海が始まったのかもしれません。
逆境から学んだことは、「なんとかなるさ」と根拠なき自分の可能性を信じ、
明るい気持ちで過ごすことがいかに大切だったかということ。
明るい気持ちでいると、自分を受け入れてくれる人が周りに生まれてきます。
俯瞰して自分の人生を上から見ると、「よく沈没しなかったな」
タイトルをつけるとしたら「非力な航海術でもなんとかなる」
座礁しかけ、難破しそうになったことも沢山あります。
その時に支えになったことは、言葉を交わさなくも
「この人だったら、この時どんなことを考えるのかな?」と思い浮かべられる
人が沢山いた、ロールモデルになる素敵な人がいたからだと思います。
まだまだ航海が続きます。
できれば凪の大海を航海したいものですね。
今の自分を築くチャンスをいただいた多くの方々に
心から感謝しております。
好きな言葉があります。
「自分に何が起きるかは選択できないが、
起きていることに対して自分が何をするかは選択できる。」
=「QTの技術」より
ごきげんよう。
by gotohda
| 2016-01-24 17:17