2011年 05月 22日
人間の行動や認知を変えるもの |
会う人ごとに、何時になったら春になるでしょう?
もう桜は散ったし、春は過ぎてしまったのでしょうか?
の言葉を交わすことが多いです。
先日、大人の学びを研究されている東京大学准教授の中原淳さんの、
対談記事を読んで肚に落とせたことがありました。
知識の蓄積が学びであると云う世の中の『学び』のイメージを変えることに
取り組んでいる方です。
中原准教授が対談で、こう仰っています。
『自分が変容することこそが学びの本質であり、廻りからの影響で自分が変容する、
あるいは、自分が廻りに発信し続けて変化が起こしていくうちに自分が変容する。
いずれにしても、一連の過程で自分が変わってこそ、学んだと云える。』
又、学び易い人と学びにくい人との違いは、どんな環境におかれているか、
誰と一緒にいるかによることが要因になっているようです。
例えば、子供は気づいたことを『あれなぁに?』『これどうして?』と
疑問に思ったことは直ぐ口にします。
元々人間は、普通に人と接していれば、話してみて、気づくことがあって、
変わって行きます。
それに対して、萎縮した子どもである大人は、おかれた環境や上下関係等に阻害され、
変容のプロセスを踏めないことが多くなり、学ばないことを学んでしまう
大人が多くなるのだと思います。
つい最近、ある大学2年生と対話したおりに『この大学に入学するために、何時から
受験勉強を始めましたか?』と訊いたところ
『高校3年生からで、あの塾の講師に出会わなかったら今の自分はなかった。』と
話してくれました。
塾講師からは合格するためのhow toを教わったのではなく、
受験することの目的、勉強することにどんな意味があるのか、努力することの意味、
日本で一番偏差値の高い大学に合格することを目標にしない限り、
目指す大学に合格するのは不可能である等々、勉強以外のことの対話が自分の
推進力になったと仰っていました。
そうしてもらった以上に、自分が合格したい大学を目指している高校生の
役に立ちたいと頑張っています。
正に、おかれた環境と関わった人との関係で自分が変容できたと彼は云っていました。
人に大きな影響を与えられる人間になるためには、どうしたら良いのでしょう?
北海道は、変わりたい。
後藤田邦彦のサイトです。
もう桜は散ったし、春は過ぎてしまったのでしょうか?
の言葉を交わすことが多いです。
先日、大人の学びを研究されている東京大学准教授の中原淳さんの、
対談記事を読んで肚に落とせたことがありました。
知識の蓄積が学びであると云う世の中の『学び』のイメージを変えることに
取り組んでいる方です。
中原准教授が対談で、こう仰っています。
『自分が変容することこそが学びの本質であり、廻りからの影響で自分が変容する、
あるいは、自分が廻りに発信し続けて変化が起こしていくうちに自分が変容する。
いずれにしても、一連の過程で自分が変わってこそ、学んだと云える。』
又、学び易い人と学びにくい人との違いは、どんな環境におかれているか、
誰と一緒にいるかによることが要因になっているようです。
例えば、子供は気づいたことを『あれなぁに?』『これどうして?』と
疑問に思ったことは直ぐ口にします。
元々人間は、普通に人と接していれば、話してみて、気づくことがあって、
変わって行きます。
それに対して、萎縮した子どもである大人は、おかれた環境や上下関係等に阻害され、
変容のプロセスを踏めないことが多くなり、学ばないことを学んでしまう
大人が多くなるのだと思います。
つい最近、ある大学2年生と対話したおりに『この大学に入学するために、何時から
受験勉強を始めましたか?』と訊いたところ
『高校3年生からで、あの塾の講師に出会わなかったら今の自分はなかった。』と
話してくれました。
塾講師からは合格するためのhow toを教わったのではなく、
受験することの目的、勉強することにどんな意味があるのか、努力することの意味、
日本で一番偏差値の高い大学に合格することを目標にしない限り、
目指す大学に合格するのは不可能である等々、勉強以外のことの対話が自分の
推進力になったと仰っていました。
そうしてもらった以上に、自分が合格したい大学を目指している高校生の
役に立ちたいと頑張っています。
正に、おかれた環境と関わった人との関係で自分が変容できたと彼は云っていました。
人に大きな影響を与えられる人間になるためには、どうしたら良いのでしょう?
北海道は、変わりたい。
後藤田邦彦のサイトです。
by gotohda
| 2011-05-22 21:40