独り言-ⅩⅤ |
2回目の予防接種も早々に終えて、抗体ができている頃だと思います。
重症化しにくいと言うだけで感染のリスクは高いまま。
安心は禁物ですね。
20日に緊急事態宣言解除後早くもリバウンドが始まっている状況にあります。
6月は定期検診で妻も同席して主治医の話しを聴いてもらいました。
緊急を要する状況になく特に悪化していないとお墨付きをいただいたので
「旨いもの食べて帰ろうか?」
「私もちょうどそう考えていた。」との返答を得て
野田岩の鰻へ直行。
天然鰻にこだわり続けてる鰻やさんです。
他愛のない話をして笑い、二人で旨いものを食べている時に大きな幸せを感じます。
妻には今更ながら感謝をしております。
小学生、中学生時代を振り返ってブログを投稿しましたが。
私の生き方に大きな影響を与えてくれたのは中学時代だろうと思っています。
ここまでを第1期とすると高校時代から就職をして30代半ばまでが第2期かな。
第2期が私にとって波乱万丈の時期であり、振り返るとこの時期が今の自分を作ったものと
思っております。
無事に高校に入学して毎日50分の道のりを歩いて通学。
冬季の寒さの中を通学するのはかなり大変でした。
当時の十勝の冬は氷点下30℃は当たり前で大きく息を吸い込むと
鼻毛が凍りつき鼻腔がくっついて息苦しかったですが、この寒さの中に広がる青空は
十勝晴れと言われるくらい見事なものだったと記憶しております。
秋から春にかけては長靴、夏は下駄のいでたちで通学していました。
運動靴、革靴とは縁がないまま過ごす変わり者でした。
ひょっとして反抗期だったのかもしれません。
1年次の担任の先生は色々気にかけてくれて早くも受験対策。
気持ちも新たに目指す目標に向けてスタートを切り、熱心に勉強した思い出深き時期です。
「努力は裏切らない」と言う通り結果がついてきて、担任からも「目指す大学は合格だな」と
お墨付きをいただきました。
私の時代は、貧乏だったせいか私立を受験する仲間は極めて少なく、
ほとんどが公立で成績優秀者は7帝大が定説でした。
クラスメイトの中に東大、京大、東北大、九州大学、北大に合格した仲間がいました。
十勝の田舎の高校からの合格は大変珍しく地方紙に掲載されていました。
当時の帯広三条高校は文武両道で毎年の甲子園出場、アイススケート高体連優勝、
テニス、バドミントンも全国優勝と輝かしい実績を誇っていました。
最高の環境下にあった私は修学旅行を境に勉強する意欲を失い
成績は落ちる一方で軌道修正ができないまま3年生を迎えました。
今考えるに地頭が良いわけでなく努力が支えでしたが、急に努力を惜しむようになり
転げ落ちるように成績は下降。
なんとか3年生になり努力をしましたが後の祭りに。
担任から北海道の大学であればなんとか合格できると父親が面談で聴き
勧められましたが断り、目標にしていた大学を受験するも
見事に玉砕。
世の中を斜に構えて見ていたのかもしれません。
ここから私は人生の暗黒時代を迎えることになります。
自業自得であることは云うまでもありませんが、大きな挫折感と後悔に苛まれました。
今までの人生で忘れられない出来事の一つです。
高校生活では中学校時代と違う友人ができ、3年前までクラス会で旧交を温めておりましたが
今は殆ど会うこともなくなりちょっとさみしい思いをしております。
多分、今会ってもお互いに表情も体格も変わり誰が誰だかわからないでしょうね。
親友は心臓病で亡くなったことを知りました。
来年に向けて頑張れ!と声をかけてくれた友人はどうしているのだろう。
今までできたんだから、明日も大丈夫なんて甘い考えを捨てたのもこの時期。
人はよく言います、「今までの成功体験が自信につながる」
しかし、それは過去の話で今、生きていく上で必要なことは何かを考えることが
大切なのだろうと今でも思っております。
高校時代の友人たちから「お前は感情を顔に出さないからとても相談しやすい」と
云われたのは最高の褒め言葉と今でも大切にしております。
高校時代の最高のプレゼントでした。
明日から7月。
どんな渦にも巻き込まれず泰然自若、修養練磨の気持ちを忘れず
楽しい毎日を過ごしたいと思います。
無事に夏を越えられますように!